素敵な夢を

 

 

終わらぬ夢を見ていたかったのに。

夢。夢って、なんだろう。

 

 

夢は 儚い。

儚 という字は「人」という字と「夢」という字で出来ている。

「夢」という字からは「未来」とか「希望」とか、そういった類の明るい印象を受けやすい気がする。

しかし、そこに「人」が加わって「儚」になるとなんだか不安定で、消え入りそうで、頼りなくて、消極的な印象を受けることが多いかもしれない。

 

 

儚くも美しい、という言いまわしがある。

たしかに儚いものは、純粋で無垢で透明で、今にも消え入りそうな美しさを感じられるかもしれない。

そう考えると「夢」に不安定な感情を抱えて生きる「人」を足すと「儚」になることがこの上なく美しく感じられる。

 

 

ここで「夢」という漢字の成り立ちについて考察する。

夢、という漢字は元々は「暗くてよく見えない」といったようなことを表す言葉だったようだ。

さらに漢字の成り立ちに注目すると、話は古代中国に遡る。

当時は甲骨文字を用いて呪術を行い、将来を占ったりして暮らしていた頃だから、巫女さんがたくさんいた。

「眉」に「女」を加えた「媚」もそうだった。
「眉」は眉飾りをつけた目のことで「媚」は眉飾りをつけた巫女のことだったのだ。

戦の際には、この媚女、つまり巫女さんたちをを互いの軍の先頭に並べ、その目の力で呪術的な力を加えて攻撃したと言われている。(果たして効果があったのか否かは些か疑問であるが)


古代中国では、武器を使用した戦闘を始める前に、呪術で相手を倒そうとして一斉ににらめっこをした。媚女は美しき魔女であったから、そこから「こびる」という意味となったようだ。

 

「夢」の字形の 草冠 と 目 の部分も「媚女」のことを指すという。それに「冖」と「夕」を加えた字が「夢」である。「冖」は巫女が座っている姿のことで「夕」は夕方、つまり夜のことを指す。

古代中国では「夢」は夜中の睡眠中に、媚女(巫女)が操作する呪いの力によって起きると考えられていた。だからこそ「夢」が「眠っている時にみる」もの、という位置付けになったのだろう。

 

そして、中国においては「儚い」という言葉自体に「おろか」というあまり良くない意味合いすらあるようだ。

 

 

同じ漢字でもこれだけ印象に違いが生まれ、そして解釈も何通りも存在する。

今までの自分の「夢」や「儚」への解釈は誤りだったのだろうか。

一体解釈に正解はあるのだろうか。文字は不思議な文化だ。言葉は、不思議な文化だ。

 

 

 

言葉にすら、唯一の解はなかった。

 

 

夢。

夢がいいものだとは限らないということを漢字は知っていた。

それでも夢を見ていたいと願ってしまう。

ゆめ、という日本語の響きや文字のフォルムの可愛らしさに、夢を美化してしまう。

 

 

 

儚い。

やはり、夢は儚かった。

 

 

言語の美しさは、やはりその脆弱性にあると信じている。それが例え、人間同士を対立させ、苦しめるものであろうとも。

苦しめられる時があるお陰で、その美しさや繊細さが引き立つのではないだろうか。

 

薄い、あまりにも薄くて小さなガラスのような言葉が、太陽に照らされて輝いている瞬間を愛でてしまう一方で、

それがどんなに小さくても人間を傷つけ、心臓に刺されば人間を殺してしまうことも忘れてはいけない。

 

 

夢も、いつまでも夢ではいられない。

夢と現実があるからこそ、夢は儚くて綺麗で、残酷だ。