新年度
新年度が始まった。
濁った瞳で澄んだ空を見上げて、深呼吸をする。今日は何をして過ごそうか。
変わるもの。変わらないもの。
何かの始まりは何かの終わりであり、それでいて長い長い人生のほんの一瞬に過ぎない。
刹那。
生まれ出づるものも、散りゆくものも、愛することのできる人間でありたい。
愛を提供できる人間でありたい。
愛とか、感情とか、自分自身でも完全に制御出来ない類のものを、言動や文字を媒介として素直に表現できる人間が羨ましい。
その素直さを、「心の綺麗さ」だと思っている。
そういう純粋で綺麗なものこそ、儚げで刹那的であり、壊れやすくて、脆い。
無常、という言葉があるように「永遠」なんてものはない。
どんなに楽しくても、その楽しさや幸福感が永遠に続くことがないのと同じように、
どんなに苦しくても、その苦しみや悲愴感が永遠に続くことはない。そう思いたい。
何かに悩み苦しんでいたとしても、それを上回るエネルギーに出会うことができれば、人間って案外単純なもので、一瞬だけその悩みを忘れてしまうことが出来たりする。
そんな脆弱性だらけの快楽は要らないというかもしれないけれど、いつまでも暗くて深い闇の中に孤独だけを抱きしめて蹲っているのとどちらがよいのだろうか。
そうはいうものの、悩みというものは絶えることなくのし掛かってくる。否定も肯定もしたくはないけれど、暇さえあれば悩んでしまうのだ。
悩みを無限に広げることが出来る幸せを噛み締めつつ、果てのない不安に身を任せて今日も、明日も、悩むのだろう。
何かに没頭していない自分に対する焦燥感が、漠然とした将来に対する不安に繋がっている。
特段秀でているものも、これといった取り柄もない自分には、この世界は広すぎるのかもしれない。
将来、どうしよう。
このまま生きてて、どうなるんだろう。
今は楽しいかもしれないけど、この先どうしよう。
ありがちな20代の悩み。
その悩みを糧にして、その悩みは過程だった、と言える人生が欲しい。
自分と、自分の人生に、オメデトウと素直に言える日が来たら、文句無しだ。
自分を愛することで他者を愛することができる。間違っていないのかもしれない。
新たなる日々に、新たなる自分に、愛を込めて。