私立文系仮面二浪雑文

 

※この物語はフィクションです

 

気がついたら3月の頭だった。

 

 

1年間、つけ続けてきた日記も、残すところ1ヶ月になってしまった。ここ数年、日記の残りのページが薄くなっていく寂寥感を、何度味わったことだろう。

自分のナレーションで進む1年の物語も、クライマックスなのかと思うと、残りのページ数と反比例するかのように原因不明の自己嫌悪が増大してゆく。夢ならばどれほど良かったでしょう。苦くて酸っぱい一年だった。柚子でも蜜柑でもなく、檸檬なのが妙に納得できた気がした。

 

1年というものはあっという間で、それでいてふとした瞬間には永遠に続くかのように思える。憎い。

歳月というものは、時として虚無であり、また時として充足感と多幸感に覆われる。面倒だ。それだけ月日というものに振り回されながら、その生活を手放せないのは、その空間が心地よいからなのかもしれない。身勝手で独り善がりの人生は最高だ。

 

3月だった。日差しが暖かくなってくる度に年度末が迫っている事や、己の1年、365日、何をしていたのだろうという思いが常に蔓延っては、漠然と焦燥感に包まれる。

 

3月は、嫌いだ。街を歩く浮かれた人間も、春の気配を感じさせるような雰囲気も、全て。

そして、3月に突如として湧き出てくる嫌いなものランキング。第15位。

 

 「長かったような短かったような、暗くて先の見えない受験生生活が終わりました!!!晴れて大学一年生になります!!これから始まる新しい生活と出会いが楽しみです!!」

「〇〇先生をはじめ、支えてくださった(予備校)、友人、親に感謝しています!!!本当にありがとうございました!!!」

 

イェーイ。大学デビュー。やったぜ。オメデトウ。

 

この手の類の、「受験生」という肩書きからの離脱と引き換えに「大学生」という肩書きを手に入れた人間による、新生活の希望に満ち溢れたコメントは読み飽きてしまった。無論、このコメントを寄せた受験生には何の罪もなく、寧ろそれを卑屈に突き返して拒絶している自分に非があるのだ。

なぜだろう。合格体験記の読み過ぎかもしれない。なんせ合格体験があまりないもので、ついつい読みたくなってしまうことがあるのだ。

誰だってあるだろう。

好きではないけれど興味本位で見てしまうもの。私にとっては合格体験記がソレだった。自らの不合格通知を片手に体験記を読み、届かない夢に想いを馳せたことがあったか、なかったか。覚えていない。

 

大学受験の予備校の合格者のコメントは、躁状態の人間の寄せ書きだ。嬉しいです、ありがとうございました、感謝しています etc...

多少は今後の人生への不安を吐露しろよ!と思ってしまう。私は人生で2回、大学入学を決めたけれど、嬉しさは束の間、忽ち不安に囲まれてしまったから。まあ、予備校に寄せる体験記如きに本気で自分の気持ちを綴る人間なんてそういないと考えれば、不安から目を背けて喜ばしいテンプレートのコメントを提出するのも無理もない。

 

それでも、少しは考えてしまうのだ。

躁がいれば鬱だっていてもいいだろう。大学に合格して鬱状態の人間のコメントは、どこへ行ってしまったのか。新生活の到来を告げる合格通知は、希望しか齎さないのか。

私にはわからない。

 

私の大学受験の話をしよう。

中高一貫の女子校に通い、塾にも通っていたのに、ほぼ全く勉強せず受けた現役。怠惰な人生。センター世界史50点。既に親不孝。第何志望かもわからない大学にだけ受かった。そして浪人した。

浪人したら、いわゆる難関私大に行けると思っていた。人生はそんなに甘くない。私は何も知らなかった。浅はかだった。流石センター世界史50点なだけあるなぁ、と思う。思考力もなければ暗記力もない。何を隠そう、先を見通して行動することが非常に苦手なのだ。

 

一浪目。第一志望に落ち、第二志望に落ちた。第三志望と第四志望に受かり…それから、なんとなく受けた国公立に受かった。

大受験を全て終えたあと、遠足にでも行くかのように国公立の試験を受けにいった。ふざけている、と思われるかもしれないが、国公立でセンターの受験票が必要なことも知らずノコノコと大学の個別の受験票一枚とペンケースだけを持って受験しに行った。

そんな程度だった。3月10日、全ての結果が出揃い、受験生生活が終わった。

浪人生としての一年を終え、大学入学を決めたとき、受験結果を予備校の可愛い担任の先生に報告したとき、そして入学式の式典でボーッと天井の照明を眺めていたとき、もう受験なんてしたくないと思った。二浪も、仮面二浪も、あり得ない。そう思った。

 

私は、第四志望の私立文系の大学に入学した。第三志望は???なんで国公立行かないの???と散々聞かれた。第三志望は第四志望より偏差値が低かったし、国公立は…なんとなく辞めた。おかしいのかもしれない。でも自分はそれが最善の選択だと信じていた。就職に有利だと思った。それだけだった。

 

一浪を終えた時。第一志望に落ちたことに関しては大して気になっていなかった。というのも受験が近づくにつれ、不合格を確信していたからだ。

そんなにサボっていた訳ではないが、至極真面目に浪人していた訳でもなかったし、勉強するときはしていたけれど、意味もなく将来に想いを馳せては勝手に絶望している時間もそれなりに多かった。

よく言われることがある。

 

「無駄な考え事してるなら勉強しろよ。」

 

そんなこと言われなくても分かってる、と思っていた。でも、何度でも漠然とした将来への不安に身を委ね、時間を溶かしては後悔した。

ここに「わたしが浪人した理由」が凝縮されているのかもしれない。人の話を素直に受け入れられない。そしてやはり計画性がない。物事の優先順位というものが、分からないのだ。

 

そんなこんなで終えた受験にはこれといった感慨深い思い出や衝撃的な事件も、良い印象も悪い印象もなかったが、かといってこの先の大学生活に特段期待を寄せていた訳ではなかったように感じる。なにも考えていなかったのかもしれない。

 

そうは言うものの、1年間夢見た大学生だ。

"大学受験"という名の、生涯賃金を掛けた魂の削り合いを終えることができたことに安堵しつつ、大学での充実した日々、勉学に励む自分を想像しては心を躍らせていたことも否定しない。何も知らない純粋な新入生だった。無知は恐ろしいほどに幸せだ。

 

4月。大学生活が始まった。忙しかった。素性も知らぬ人間達と笑い合い、会話をする日々。楽しかったが、疲弊していた。人間関係は難しい。当たり前である。本格的に授業が始まった。大教室が煩かった。授業中に奇声を発する人がいた。理想と現実は、やはり違うのだ。夢は、夢でしかない。

 

5月。大学に対して嫌悪感を抱いている自分の姿があった。入学前のあの恐ろしいまでに純粋で浅はかな期待は、少しずつ、しかし着実に崩れていき、私の大学へのモチベーションを蝕んだ。
無論、自分の学習意欲の低下を周囲の環境のせいだと責任転嫁するつもりは毛頭ない。

しかし春学期の大学は、私の将来に対する漠然とした不安と自分自身に対しての不信感、懐疑心を募らせる要素で溢れすぎていた。


遅刻常習犯のクラスメイト。

小さな教室にもかかわらずいささか賑やか…いや。自由な学びを提供してくれる必修の授業。そして個々が思い思いのスタイルで参加する大教室での授業。

(授業中に食事をとったり、カードゲームをしたり、音漏れを気にも留めずスマートフォンで銃撃戦のゲームをするのと、授業自体に出席しないのは、どちらが悪なのか、永遠の謎だ。)

(周りの人からしたら前者の方が圧倒的に迷惑なのに、社会的に悪いという評価を得るのは後者、なのだろう。不思議だ。何と言っても大学はサル山でも幼稚園でも、ゲームの試合会場でもないのだから。)

試験前になると出回る板書。授業時に一度も見たことのない同じ科目の履修者を名乗る人物にノートやプリントのコピーをせがまれる友人。

単位だけ取れればいい。必修の単位がなければ意味がない。そう言って単位のために、進級の為に、訳も分からず勉強する友人。

 

大学は、こんなところだったんだ。何という自由な学びの場なのか。感動した。

そして秋学期の登校を放棄することを決意した。大学をやめようと決意した。

一方で、浪人を決めた時、大学入学を決めた時、応援してくれた人間の顔、ここまで育ててくれた親の顔がちらついた。途端に罪悪感が広がった。わたしはまだまだ「子供」なのだ、と悟った。もうすぐ20歳だというのに。情けなかった。

 

大学に向かう電車に揺られながら考えていたこと。大学とは、学問とは、何なのだろう。
自分が勉強しているのは何故だろう。何の為なのだろう。本当は違う学問の方が興味があるのかもしれない、と薄々気づいていた……これも後から取ってつけた言い訳なのかもしれないし、本音なのかもしれない。

 

大学に通う意義や価値の破片は、掻き集めても掻き集めても、綺麗なステンドグラスには戻せなかった。不器用な私には、不可能だった。粉々のガラスの破片を抱えて途方に暮れる日々だった。粉々のガラスは光に照らされると美しく見えたが、手で掬い上げるには危険過ぎたのかもしれない。ガラスだって立派な凶器だ。それを美しくするのも、武器にするのも人間次第だけれど。

 

何が正しいのか、正しいってなんなのか。そもそもなぜ正解を求めているのか。

そういう思考が来る日も来る日も自分を取り巻いていた。これも、あれも、考えている事全てが時間の無駄なのかもしれない。でも考えることを辞めずにはいられなかった。

 

そうこうしているうちに春学期の期末考査があり、それが終わると「夏休み」とやらが訪れた。

 

夏休み中に何を考えていたのか、思い返してみた。まず、現在の大学で、興味のある分野に触れたゼミを専攻して、そのまま卒業する事を考えた。不可能ではないが負荷が大きそうだった。

ああ、そういえば大学を辞めて専門学校に行こうと思っていた。専門学校なら本当にやりたいことに打ち込める。大学よりも将来が確約されていない不安はある。

 

なんだって不安だった。何をするにも不安と陰鬱な自分が付き纏っていた。夢を語る友人が羨ましかった。

 

専門学校に行くのにもお金が必要だったので再びバイトを探した。

大学生の夏休みと言っても、特段やりたいことがなかったので寝る前を惜しんで読書をして、勉強をして、時々ネットサーフィンをして、そして、机と向き合うだけの毎日に限界を迎えたタイミングで自分と社会を繋いでいた筈の糸が切れてしまった。自分で切ったのかもしれない。

8月。体調を崩して入院した。

 

 

大学1年、夏。つまらなかった。白い壁に白い天井。ひんやりと一定の温度に保たれた空調。加湿器の音。医師の話し声。過ぎていく日々に為す術など無かった。人間は非力だ。

外に出た日は図書館に通った。図書館は好きだった。本が無料で読める。誰にも邪魔されない。孤独。あの場所は彷徨えるちっぽけな人間の人生の苦悩を全て受け止めてくれた。

春学期は充実していたけれど、常に頭の片隅で燻っている秋学期のこと。またあの大学に戻るのか。いや、辞めるんだ。絶対に辞める。そう決めていた。親には言っていなかったが、察していたのかもしれない。大学を辞める決意をしても言わなかった。

そういえば、大事なことを親に相談した記憶があまりない。そういうものだと信じていたから。くだらないプライドなんて捨ててしまえばいいのに。

 

9月になった。体調は良くなかった。秋学期に入った。学校にはいかなかった。親には「どれだけアンタに投資したと思ってんのよ!アンタがここまで生きてこれたのは誰のおかげなの?」と詰られた。「大学に行けたのは?バイト出来てお給料貰えたのは?誰のおかげなのよ?!」という言葉は今でも脳内にこびり付いて離れない。何も言えなかった。事実だから。

 

自分でも何の為に生きているのか、自分の存在が不要である事を実感してゾッとする時がある。本当に自分の存在価値を見出しつつ生きている人間が何割いるのかなんて知らないけれど、己が自分勝手に生きている事だけはよく分かっている、つもりだ。

周りの人間に迷惑を掛けるだけ掛けて、何も還元できていない。親にお金を出して頂いているのに、無能な人間のまま。情けない。こんな自分の人生に意味などない気がしていたが、そう思っていることが、一番の親不孝な気もしていた。

 

親との関係の拗れは加速するばかりだった。両親も相変わらず険悪な雰囲気を醸し出していた。家が嫌いだった。家を出たかった。でも、相変わらずお金がなかった。

 

10月。本当に記憶がない。人間は都合の悪いことを消去したくなるというのは、本当なのかもしれない。英語の勉強がしたくて、英検を受けた。資格試験に行くふりをして図書館で本を読んでいた。本を読むのは好きだ。自分の世界を自分で守り、温める時間だから…と言い聞かせていた。

 

12月。思い立ったが吉日、というように突如として塾でアルバイトをしようと思った。ありがたい事に採用された。

 

12月も下旬に差し掛かったある日。その日は大学受験対策の英語の授業が入っていた。当たり前のように予習をしなくてはならない。

約一年ぶりに、第一志望校だった大学の過去問を開いた。

 

過去問を、開いた。

 

英文を読み、設問に答える。一年ぶりの過去問演習だ。緊張した。去年落ちたなぁ、と恐る恐る解答ページを開き、答え合わせをした。それなりの、出来だった。

何故だろう。安心した。これだ、と思った。一冊の過去問に自分の居場所を見つけた気がした。

英語の問題を回答する為に悩んでいたこの数十分で、今まで自分で消化できていなかった、大学への不信感や自分が大学で本当にやりたいことは今の学部とは違うのではないか?という疑念が解けていった気がした。

赤本のはじめの数ページに、"在学生のメッセージ"というページがあるのをご存知だろうか。

そのページをみて、「どうせ今の大学を辞めるなら、受けてみよう。」そんな風に思った。意思は固かったが、偶然受験を決意するきっかけとなる機会が舞い込んできただけだった。

授業を割り振ってくれた、社員さんに頭が上がらない、のかもしれない。突然山のような追加授業を組んでくるバイト先には、ある意味で尊敬の念を抱いているが、この時のことに関しては感謝しかない。

 

極秘仮面浪人の始まりだ。

冬期講習、1月、2月と必死でバイトを入れた。

受験料と入学金を稼ぐためだ。今思えば、合格するかもわからない(二浪目とはいえ、純浪して落ちた大学に2ヶ月で合格を狙うなんて無謀な話だ)のに、入学金を捻出する為に齷齪していたのは、驕慢だったのかもしれない。

本来なら、受験料さえ稼げればあとは勉強するべきだった。受験という世界に、入試という世界に、合格する保証などどこにもないからだ。受かってから頼み込めば、どうにかなったかもしれない。なんとか合格を頂いたから良いものの、やはり計画性がない。

 

こっそり願書を出し、こっそり入学金を振り込み、こっそり受験した。何食わぬ顔でバイトはしていたし、大学には相変わらず行かなかった。大学には行っていない癖に親に仮面がバレないように、必死だった。相変わらず図書館に通っていた。

 

もしかしたら、必修の授業のクラスメイトにはバレていたかもしれない。二度と会わないと信じていれば、どうでも良かった。それよりも身近な人に仮面を悟られたくなかった。落ちていたら恥ずかしいから。落ちていたらどんな顔をしたらいいかわからないから。落ちていたら、、、という恐ろしさで眠れない日もあった。受験の前日より緊張していた。

合格発表までの間に気を紛らわせるために旅行に行った。神社で人生で初めて本気で合格祈願をした。神様なんて信じないと思っていたのに。信じていないのに。祈りを捧げる行為に価値を見出した私は滑稽だったかもしれない。そんなのもうどうでも良かった。

 

友達にも家族にも言わずに、受験が終わった。

調査書を取りに行ったので、高校の先生だけが知っていた。怖かった。誰かに打ち明けて楽になりたかった。孤独だった。

こっそり合格発表の日を迎えた。

こっそり合格した。親に報告した。酷く怒られた。

それもそのはず。折角入学した大学の秋学期の授業に出ず、資格の勉強と英検の勉強をして、こっそりバイトを始めて、仮面浪人をした。怒られるだけの事をしてしまった。学費が自分では払えない。払えるわけもなく、お金を貸してください、と頼んだ。

20歳になっても親頼みで、恥ずかしかった。自分勝手で、恥ずかしかった。お金が無い、学もない、甘ったれた自分が情けなかった。親との関係が拗れたままの自分が、情けなかった。

 

春から大学一年生になる。

不安しかない。先のことを考える度に頭が真っ白になる。自分の人生も白紙に戻してしまいたい。コンプレックスに支えられて生きてきた20年。この先もコンプレックスは私の人生を支えてくれるだろうか。わからない。何も、わからない。ひたすらに怖い。メルカリで自己肯定感を販売してほしい。まとめ買いしたい。

 

自己肯定感、自己顕示欲、自己承認欲求が複雑に絡み合って出来た人間。面倒だ。言葉にも数字にも現れにくい感情でつながりあっている癖に、社会が人間に要求するのは言葉であり、数値なのだ。人間同士とて言葉や行動といった可視化できるものを求め合う。そもそも社会って何だ。人間を取り巻く脆弱性だらけの「何か」には違いない。

人間は、嘘つきだ。騙し、騙され、生きている。疑い、疑われ、生きている。仮面をつけて生きている人間ばかりだ。崩れやすい砂の城のようなこの世界で仮面をつけて踊る、いや、踊らされている人間。脆い。脆すぎる。不変のものなんて、目を凝らして探さないと見当たらないのかもしれない。

 

 

私は、嘘つきだ。騙し、騙され、生きている。疑い、疑われ、生きている。そして、2ヶ月間、周囲の人間に嘘をついていた。仮面した。2ヶ月は、短い。言うならば、プラスチック製の仮面をつけて仮面浪人を経験した。1年間、鉄の仮面を着け続ける人間には尊敬の念しかない。私にはプラスチック製の仮面ですら重かったから。苦しかったから。

 

仮面浪人は、純浪や宅浪よりは精神的に楽、と言われがちな気がする。残留する大学があるから。

人間だって、仮面をつけて生きていたほうが本気で生きるよりはイージーモードかもしれない。

仮面をつけてみて分かった。仮面を外せば別の自分が現れ、仮面をつけている時とは違う居場所があるはずだ。居場所は、ある。だからこそそれなりのリスクとそれなりの精神的負担があるだろう。ふとした瞬間に仮面が取れてしまったら、どうだろうか。最悪、2つの居場所を失いかねない。

仮面を外してみて分かった。仮面はつけないほうが良いのかもしれないが、一概につけるなとは言えない。自分を信じ、自分を守る為につけるのかもしれない。

仮面を着ける瞬間も、外す瞬間も、勇気がいる。もう1つの自分を暴露するのだ。1つの場所に、自分は1つだけで良い筈なのに。

 

 

人生は、受験に似ている。いや、受験が、人生の疑似体験なのかもしれない。どちらでも正しい気がするし、どちらも間違いなのだろう。

 

そんな風に。多分、虚構だから。

人生なんて、虚構に過ぎない。

自分がナレーションの物語を掻い摘んで、周囲の環境や他人といった登場人物を自分のストーリーという舞台の上で踊らせて、時々感情移入しているに過ぎないのだから。

嫌なら、捨てればいい。自分の今の生活だって、嫌なら捨てればいい。だって、その今の生活や将来だって、確約されたものではないから。気が向かないなら辞めてみればいい。人生ってそんなもんなのかもしれない。

自分勝手だと思うけれど、自分の作り上げたストーリーの登場人物に強く感情移入すればするほど、手放すのが苦しくなる時がある。誰だって思い入れの強い人形を処分する時に躊躇する様に。

そうやって苦しみたくないから、過度に感情移入したくないのだ。それでも自分勝手かもしれない。でも、人間は嘘つきだし、いざとなったら冷酷だ。冷酷な人間を演じて、突き放してくる。仮面に温もりなど無い様に。

人間の心の温もりは「社会」を前にしてどこまで働くのだろう。社会に押し潰されそうになりながら生きている人間に温もりはない。自分の事で精一杯だから。だが、それでいい。その方が楽なら、そうすればいい。

 

 

 

ここまで並べ上げた稚拙で空虚な文字の羅列は、真実かもしれないし、虚構かもしれない。

嘘をついても、本当のことを言っても、信じて貰えるし、信じて貰えない。だからこそ、虚構と矛盾だらけの世界で真っ直ぐに生きるものは、儚くもうつくしいのだ。

私は、そう思う。

皮肉かもしれないけれど、真実が全て純粋で美しいとは限らない。何が真実かを決めるのも、美しさを決めるのも、個人の価値観で、自由なことだから。社会のルールに縛られて、価値観を押し付けられたっていい。それが自分の選んだ道だし、選んだ価値観だ。それが窮屈になったら逃げ出せばいい。

 

人生は死へ向かう道を急ぐ人間たちの生を吸い取られまいと生にしがみ付き、死という得体の知れぬものから必死に逃れようとする逃避行なのかもしれない。

そんな後ろ向きに生きるなと言われても、これが私の価値観だし、私だって前を向いて生きていることもある。常に真っ直ぐ前を向いて生きていると、自分が前を向いていることも分からなくなり、知らないうちに後ろを向いていることもあるように。前向きも、後ろ向きも、大して変わらないのかもしれない。

 

歪みだらけの世の中で、真っ直ぐ生きるのは、途轍もなく難しいだろう。

自分の気持ちや意志に正直に、嘘をつかずに生きる必要さえ、どこにもない。自分の本質とか、本当の気持ちを自分が全て理解しているとは限らない。

 

 

嘘なんていくらでもつけばいい。汚くていい。

 

 

だって、これは全てフィクションだから。