永遠
明日地球が滅ぶとしたら
あなたは何をして過ごしますか…?
時折、こういう質問を見かける。
たしかに明日、地球上の「全て」が「無く」なる、という想像し難い状況下で何をするのか、どうやって1日を過ごそうか、と思いを巡らせるのは楽しい。
明日、全てがなくなってしまうことに対して安堵する人間もいれば、恐怖心や焦燥感に駆られる人間もいるだろう。
限りある時間の中で、挑戦したいことを出来るだけ挑戦してからその時を迎えようという者も、いつもと変わらぬ1日を過ごす者も、じっとその時を待つ者もいるだろう。
では、こういう質問はどうだろう。
あしたから、この世の全ての命は、永遠です。何も無くならない、滅ぶものも、滅びゆくものも無い世界です。あなたは何をして過ごしますか。
「滅亡」という概念が滅び、「永遠」という概念が残った。
さあ、どう答えるだろう。
人間は、わからない。
有るはずのものがなくなった時、
「どうして無くなったのだろう。想像もしなかった」と感じるのに、そのものが「永遠」であることを信じているわけでもない。
いつかは無くなると知っていながらも、そこから目を背けてしまうことが多い。
今まで、存在していたものが無くなってしまうことは、「悪」だったり「苦痛」なのだろうか。
無くなってしまうことは、本当に「普通」とか「日常」ではないのだろうか。
永遠に続くことが「普通」のように思えていることも、限りがあるからこそ永遠だと「信じ込んで」しまうし、
人間はいつかその終わりが訪れることを、無意識的に理解した上で、それを無視しているのではないだろうか。
終わりがあるからこそ、その過程を愛でることができるのではないだろうか。
足枷を知った時だからこそ、翼を広げたがってしまう。
限りがあることが必ずしも悲しいことではないように、永遠が必ずしも幸せではない。
いつか無くなってしまうことを知っているからこそ、共に刻む時を慈しみ、愛でることが出来る。
炭酸の抜けたサイダーの甘さは、好きでもないけど、嫌いにもなれない。
時の経過を甘く濁してくれる。